プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足4

■自分や家族などの いきしににかかわること、とりわけ収入・支出であれば、相当程度「優先順位」は整然としているはずだ。■いや、むかしとはちがって、大衆の大半までもが、うえるという事態におこいまれない現代社会のなかでは、なにをたべるか、なにをきるかなどは、多分に趣味の次元に属しているかもしれない。
赤坂真理『モテたい理由』にならうなら、おおくの女性は、男性から いかに愛されているか(いわゆる「モテ」)を誇示する同性間の競争をいきぬき、おおくの男性は、業界内での地位向上やマニアックな趣味などを誇示する、これまた同性間の競争をいきぬく宿命にあるといえるかもしれない。■これらの同性間競争(ライバル関係)は、それこそ多様に分化しているだろうが、それぞれの空間内部では、それこそ にたりよったりの 金太郎飴状態にあるのだとおもう。それこそ、各空間のなかで、差異化競争がくりひろげられていても、外部の第三者からすれば、「ほとんどおんなじ」状況なのではないか(笑)。■今月初旬にかいた「『本能』の政治性(某ブログから)」のなかで、社会学の基本的視座として「ある社会的属性は、統計学的な想定範囲を相当限定してくれる」を指摘しておいたが、それを援用するなら、ある属性の男女は、かなり にた趣味によって、日常的な衣食住文化を実践しているってこと。■極貧状態で調達できる消費財が極限されているばあいはともかく、ちょっとでもユトリがあれば、そこの個々人・小集団の趣味が反映されるはずだが、それでも、それは社会的に構造化されて、属性ごとに大半が想定範囲におさまってしまうだろう。

■したがって、ここ数日つづけてかいてきた 非営利的な行動にふみだす方向性も、社会的属性が「統計学的な想定範囲を相当限定してくれる」だろうとおもわれる。かなり趣味的にバラけるはずの生活文化が、属性ごとに かなり限定されているんだから、非営利的な他者へのはたらきかけは、一層限定されているだろうとね。

■たとえばアメリカ(ヨーロッパではなく)の中産階級の保守的部分なら、教会に熱心にかよい、そこでチャリティやらバザーがあれば、よろこんで集金活動に協力するだろうとか、日本列島上の新宗教の信徒なら、教団上層部からお布施等の指示があれば、熱心に協力するだろう…とか。
■そして、すくなくとも、一部の新宗教の教団上層部は、こういった信徒たちの熱心さを充分「計算」したうえで、集金装置・集票組織として組織を利用している。旧ブログでとりあげたようにね。たとえば、その一部である「宗教者のハマる「おとしあな」(原理運動だけじゃなくて)」や「カルトな組織をみきわめるために」などでかいたとおり、「世俗的な意味で人的・経済的収奪が合理化されているかどうか、それらが血縁など少数の特権的な層に利益が独占されているかどうか」で、それは立証されるだろう。宗教法人とか教団といった外観をとってはいるが、信徒から収奪することが主目的の支配装置なのだってね。

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足3

■本すじからは はずれるが、売買を禁ずるなど非営利的な善意による交換というタテマエ(「臓器移植法」)にもとづいている「臓器移植」問題について補足しておく。■池田清彦氏らが指摘するとおり、臓器移植の現実は、実態として経済行為にほかならず、しかも市場原理が健全にははたらきようがないという意味で、実にネジれた領域になるほかない。そういった経済学的なゆがみが、「受給者(レシピエント、recipient)」の心理にも確実にカゲをおとす〔池田清彦『臓器移植 我、せずされず』小学館文庫,2000年→角川ソフィア文庫,2006年〕。■経済学的な整理のまえに、池田氏周辺の見解とかさなる心理学者 渡辺恵子氏の指摘をひいておく。

レシピエントの心理
 レシピエント候補として登録された人は、どこかに脳死の人がでて、その人の臓器が自分にまわってくるのを待つことになる。脳死による臓器移植は、一人の人の死の上に自分の生が成り立つという、レシピエントにとっては大変精神的に負担を感じる構図にならざるを得ない。また、レシピエント候補者に対してドナーの数は圧倒的に少ない情況下では、レシピエントに選ばれることは、幸運と云わざるを得ない。したがって、レシピエントはその贈り物をただ受けることになる。ドナーに対しても、移植医にたいしても感謝あるのみで、たとえあったとしても、あからさまに不満を言うことはできない情況であろう。

複雑な思い
 移植を受けるべく待つ間、早くドナーが現れないかと願っていることに気づき、人の死を待つようで自己嫌悪に陥ったという報告もある。また、臓器を提供されて元気になった後にも、複雑な思いがある。多くのレシピエントは、ドナーは生きていなくて、自分が生きていることに罪悪感をいだいていると云われる。ドナーの自由意志からの臓器提供であっても、レシピエントは常に申し訳ない気持ちが心の深層に存在している。移植を受けて元気になり、感謝の気持ちでいっぱいであると同時に、一人の人が亡くなっているという感情が錯綜し、複雑な心情で毎日を送るレシピエントも多い。レシピエントが死亡したり、拒絶反応のため移植した臓器を失ったということを耳にすれば、ドナーは喪失感を味わうであろうという思いももっている。


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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足2

■要するに、政府・自治体のような巨額の資金を運用する組織でさえも、その配分の権限で権力をにぎっているぐらい「不足」しているのが、市場原理にのらない領域。ビル・ゲイツ氏級の大富豪が慈善事業などを多数並行しても、世界中の解消すべき諸問題の大半はかたづかない。■もともと、問題をつくりだし、不安をあおることを商売ネタにしている連中がいるぐらいだから、この絶対的な「不足」状態がなくなるはずがない。

■そうなると、「手弁当でいきましょう」系か、「募金しましょう」系が一般の民間人にとって実現可能な非営利的貢献ということになる。■でもって、ほとんどが「やけいしに ミズ」状態なのだが、「だまって 放っておけるか…」式の人士が、少数ではあるが、かならずあらわれるわけだ。■世界中で展開されるNPOとか募金運動は、こういった土壌のもと大発生してきた。

■でもって、重要なのは、資金も人材も、ものすごくかぎられた「希少財」だという点。大富豪の財団や政府・自治体などの巨額の資金がないだけに、当然、それら以上に「一点主義」になるほかない。■「なにを目的にするのか?」という問題は、「どの課題が優先順位としてたかいか?」「自分たちのもつ資源でなんとかできそうなのは どの課題か?」ということと、きりはなせなくなる。

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足1

グローバリゼーション(ヒト/モノ/コトの大量高速移動)の時代がやってきた。しかし、モノ・情報・資本などは大量高速移動するようになったものの、実際にヒトとその行為が高速移動するのは、全体のうち ごくわずかだ。■ヒトを大量高速輸送させるだけの技術・制度は、しあがったのだが、奴隷労働が法的に禁止された現代、各人の「主体的な選択」(多分に幻想ではあるが)がからむがゆえに、目的地がデタラメということはなく、動機のない移動も基本的にありえない。■ここには、移動コスト(金銭・時間・心身の疲労など)がからんだ心理的コストがまとわりついているとおもわれる。0にはならない移動コスト+心理的コストがあるがゆえに、どんな空間であれ、1000キロをこえるような長距離移動には、それなりの動機・目的があるとかんがえられる。■SFや理論物理学のなかでは、テレポーテーションが可能でも、それを科学技術が実現することはありえまい。■つまり、定年退職後の富裕層でもないかぎり、日常のなかから時間と資金をさいて、仕事と無縁な移動を気ままにするという層はごくごく例外的だということになる。

■モノや資金は たしかに大量高速移動しているが、これとて 市場原理の わく内がほとんどだ。要するに、カネもうけになると判断される空間にしか、モノ・資金は大量移動していかない。購買力がちいさい集団しかくらしていない空間には、モノ・資金は少量低速移動しかしないだろう。■第三世界の貧困国や日本列島の過疎地をみればよい。

■この ごくあたりまえの構造を再確認したのは、カネもうけとは一線を画したヒトの行為や資金が、特定の空間に移動していくとしたら、どういったばあいかを整理してかんがえるためだ。

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犯罪被害者と暗数への想像力

■古今東西、ほぼ普遍的に暴力的傾向が突出していると、経験的にも統計的にも確認されつづけたきた20歳前後のわかい男性が、突出しておとなしいのが、1980年代以降の日本列島であることは、旧ブログで何度かかいた〔旧ブログ「殺人率 20歳前後」関連記事〕。■殺人だけではなく、レイプなどの凶悪犯罪全般において、日本のわかものたちは 紳士的なのである(あくまで統計上だが)。たとえば、少年犯罪に関しては、ウィキペディア「最近の少年犯罪の動向」などをみても、『犯罪白書』などでも当局自体が、激増傾向などを否定しているのである〔詳細は『少年犯罪データベース』〕。

■ところで、ときどき参照する『社会実情データ図録』ではあるのだが、つぎのような図表のタレながし(「犯罪者と被害者との関係(犯罪種類別)」)と解題はこまりものである【図像がアップできないので数値で紹介】。


       件数  親族等   面識あり  面識なし その他
殺人   (1224)  44.2%    40.1%    15.4%   0.2%
傷害   (22962) 11.0     44.1     44.9
……
強姦   (1373)   3.3     34.5     62.2
強制猥褻(3683)   0.8     17.6     81.5
……

(注)警察庁の統計による。「その他」は被害者が法人・団体の場合、被害者がない場合。
   ()内は件数の実数。
(資料)犯罪白書(平成18年版)

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タグ : 暗数 統計 密室 犯罪 被害者

「日本国民に誇り」っていうけど…

「日本国民に誇り」93%で過去最高
               …読売調査


 日本国民であることを誇りに思う人は93%に達し、「国の役に立ちたい」と考える人も73%に上ることが、読売新聞社の年間連続調査「日本人」で明らかになった。

 いずれも過去の本社調査と比べて最も高い数値となり、戦後60年余りを経た今の日本人の「国家意識」の高まりがうかがえた。連続調査は、本社の毎月の世論調査が1978年3月の開始から今年で30年を迎えるのを機に、過去の調査結果とも比較し、変化を探るものだ。その1回目となる今回の調査は、「国家観」をテーマに12~13日に面接方式で実施した。

 今回、日本国民であることを「非常に誇りに思う」と答えた人は55%で、「少しは誇りに思う」は38%だった。「誇りには思わない」は6%に過ぎなかった。本社調査では同じ質問を1980年、86年、95年にも行っており、「非常に」「少しは」の合計は91%(86年)、「非常に」は54%(80年)が最高値だったが、今回はいずれもこれを上回った。

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本当に当局は変死の遺体解剖をのぞんでいるのだろうか?

検視解剖(旧ブログ)、検視解剖(本ブログ)の関連記事。■まずは、「共同通信」配信の『日経』の記事から。

遺体解剖、実施9%・警察庁、法医学会に体制充実要望

 2007年に全国の警察で扱った遺体は前年比5340体(3.6%)増の15万4579体で、司法解剖行政解剖を実施した解剖率は9.5%だったことが23日、警察庁のまとめで分かった。

 大相撲時津風部屋の力士死亡問題などで死因究明の在り方が問われる中、解剖率は前年より0.1ポイント上回ったが、依然として低い水準にとどまっている。

 このため、警察庁は同日、日本法医学会中園一郎理事長(長崎大教授)に「適正な解剖の実施が確保されるように」と体制の充実を求める要望書を提出した。

 法医学会によると、現在、広島と愛媛、佐賀の3県には、大学に法医学の専門医がいない状態。今春も定年や転任などで6大学の医師が教授ポストを去り、専門医不在の県が増える事態が懸念されている。

 警察庁は司法解剖制度が成り立たなくなると危機感を募らせており、学会に若手医師の教育や、ポストの充実も求めた。〔共同〕(16:00)

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テーマ : 社会問題 - ジャンル : ニュース

タグ : ハイパー独裁 1984年 真理省 安全 警察

ニセの可視化(警察庁による「取り調べ適正化指針」)

とりしらべの可視化の問題は、再三記事にしてきたが、警察庁も鹿児島富山などの事件で、さすがに対応をせまられたようだ。■まずは『中国新聞』の報道・論評。


取り調べ適正化指針 冤罪根絶につながるか '08/1/25
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 具体的な改善策を示してはいるが、冤罪(えんざい)の根絶につながるのか、疑問が残る。警察庁がきのうまとめた取り調べ適正化指針である。各都道府県警本部の警務部門に監督担当課を置き、取り調べ状況を随時チェックするなど、踏み込んだ内容を盛り込んでいる。

 評価できる部分があるのは確かだ。警察の危機感の強さがうかがえる。容疑者の尊厳を著しく害する言動や体への接触など七項目を「監督対象行為」と規定。行き過ぎになりかねない、こうした行為が確認されれば、懲戒処分をはじめ厳正な対応で臨む方針だ。現場に混乱が生じないよう、徹底を図ってほしい。

 指針は、二つの冤罪事件を教訓としている。被告十二人全員の無罪判決が確定した鹿児島県の選挙違反と、富山県の女性暴行誤認逮捕だ。一日十三時間を超す取り調べや、脅しのような言動による「自白」の強要。客観的証拠による裏付け捜査の甘さ…。親族の名前などを書いて踏ませた「踏み字」で自白を迫ったとして、特別公務員暴行陵虐罪に問われた元鹿児島県警警部補には、きのう懲役十月が求刑された。

 こうした多くの問題点があっただけに、厳しい内容にせざるを得なかったのは当然だろう。

 ただ、決して十分ではない。取り調べ過程をすべて録音・録画して可視化すべきだという日弁連などの提案は取り入れられなかった。組織犯罪や知能犯など、なじみにくいケースも考えられよう。しかし自白偏重の捜査手法と内部チェック機能の不備という冤罪を生む土壌にメスを入れるためにも、積極導入すべきではないか。

 鹿児島の事件では、「無理な捜査の進め方ではないか」と警察内部で異を唱えた人が逆に非難されたことがあった。検察の段階でも、事実関係の矛盾から起訴に強く反対する意見があったが、結果的に警察の「暴走」を追認することになった、という。

 捜査に行き過ぎがあった場合、指針が示している警察内部の、いわば身内による監督・監視で防げるのか。実効性を確保するには、検察とも違う第三者によるチェック機関設置の検討も欠かすことはできまい。

 一般市民が殺人など重大な刑事裁判の審理に加わる裁判員制度が来年春スタートする。審理の基盤となる捜査に対する国民の信頼を回復するためにも、さらに透明性を高める努力が必要だ。


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テーマ : 刑事事件・裁判関連ニュース - ジャンル : ニュース

学力上位者に補習が差別的でないという論理2

前回のつづき。

■私立中学が「到達度別クラス編成」とかを導入して、成績順に生徒を分別して教室にほうりこみ、ロコツにことなった授業展開を並行するってのは、一応ありなわけだ。そういった、差別的なとりあつかいをされてもかまわないという「校風へのなっとく」が前提にあるのだからね。
■しかし、公立校でこれをやれば、大問題だ。私的な「おけいこ」ごととはちがって、社会人育成のために税金を投入しておこなうのが、公教育体制下の公立中学だからね。差別的な処遇は絶対におこなってはならない。■そういった大前提を再確認したうえで、杉並区立和田中学校がやろうとした「補習」授業は、どういった意味をもつか?
■要するに、税金でつくられたハコものを利用しながら、成績上位者で、かつ特別な月謝をしはらえる保護者をもつ層だけを、優遇するという体制ということができる。■貧困層なら当然しはらい不能だろうし、なにより、もともと成績上位にある生徒をわざわざえらびだして、偏差値のたかい高校に進学させようというのだ。そういった「あとおし」行為を、普通は「補習」なんていわない。「特別授業」とよぶのが普通だし、公立校で教員が主軸となってこういった選抜と「あとおし」をするのだったら、「えこひいき」と批判されてもしかたがない。■「補習」ってのは、被差別部落地区の生徒など、成績不振層に「補強」として勉強の面倒をみるといった、ボランティア的なとりくみを普通さすのであって、こういった「えこひいき」を「補習」といいつくろう神経は、どうかしている。

■でもって、大手の受験業者が、ボランティアでこういった「慈善事業」に協力するはずがないよね。そんなこと、ありえない。

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テーマ : - ジャンル : 学校・教育

暴動をおさえこんだ刑務官たちは公務執行?

■旧ブログ記事「徳島刑務所内陵辱疑惑と暴動事件報道」の続報。■『朝日』の記事から。

徳島刑務所の騒動、
  25人を傷害容疑などで書類送検

2008年01月23日

 徳島刑務所(荒島喜宣所長、徳島市)で昨年11月、受刑者が暴れ刑務官5人が負傷した騒動で、同刑務所は23日、20~50歳代の受刑者25人を傷害と公務執行妨害容疑で徳島地検に書類送検した。これで、受刑者の刑事手続きは26人になった。

 調べでは、25人は昨年11月16日午前9時25分ごろ、労務作業を行う工場内で発生した騒動に加わり、刑務官4人を殴るなどし、約1週間のけがを負わせた疑い。

 また、同刑務所では、一部の受刑者から不適切な医療行為が指摘されていた医務課長が騒動の前日、診療中に受刑者から殴られそうになるトラブルがあった。課長はその後、同刑務所内での診療から外れているが、騒動との関連について、荒島所長は「調査中」と詳しい説明を避けた。

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■「騒動」と表現されているが、暴動だよね。■でもって、性的虐待をくりかえしていた医者の件がなくて、この暴動がおきたとは、到底おもえない。
■じゃなにか? これら暴動でけがをした刑務官たちは、虐待の実行犯たる医師を内部告発するような正義漢たちばかりだったのか? 性的虐待の実行犯の行為を傍観する、ないし協力するような場面を一度も経験していないんだな?
■きのうのよるのNHKのニュース(ラジオ)なんて、『朝日』みたいに、事件の背景の説明なんて皆無だったもんな。ひどい「タレながし」報道だ。

■はっきり確認すべきだとおもうが、「「調査中」と詳しい説明を避けた」所長は、「傷害と公務執行妨害容疑で徳島地検に書類送検した」以上、暴動をおさえこんだ刑務官たちは全員公務執行=合法的であり、暴動の参加者たちは全員違法行為をおこなったという判断をくだしたのだから、医師の罪状があきらかになったあかつきには、責任をとるんだろうね。■法務省をはじめとして、刑務所の監督官庁ほか、責任者たちも、これらの経緯を精査したうえで、出処進退を明確にするよね?■これって、法治国家であるかどうかを、端的にとわれているとおもうよ。
■もともと、被疑者の処遇や出入国管理の問題、そして死刑制度やらで、世界に冠たる野蛮国って評価はゆるがないけどさ…。


●Googleニュース検索「徳島刑務所
●ウィキペディア「徳島刑務所担当医師による虐待疑惑報道

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【転送】2008年東海大學日本語文學系国際シンポジウム

東海大學(台湾・台中市)の日本語文学系では、3月8日、9日に学内で国際シンポジウムを行います。テーマは、「ことば ひと 越境」です。国語と母語の相克や母語間のパワーポリティクスなどが話題の中心になるかと思われます。基本的な参加費は無料です(懇親会に関しては一部、ご負担いただきます)。以下、ご案内をさせていただきます。

2008年東海大學日本語文學系国際シンポジウム
『ことば・ひと・越境』『語言/人 越境時』
(日本語と中国語の同時通訳がつきます)

主催: 東海大學日本語文學系
協賛: 行政院國家科學委員會・教育部・財団法人交流協会・東海大學研究發展處・東海大學學術發展文教基金會・東海大學國際教育合作室
開催日: 2008年3月8日(土)~9日(日) 会場:東海大學人文大樓茂榜廳
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▼特別基調講演
講演者: 蔡茂豐(東呉大學客座教授)
 演題: 「『国語』強制の下における方言抑圧―台湾の場合」
講演者: 原聖(女子美術大学教授)
 演題: 「ことば・ひと・越境―ヨーロッパにおける事例を中心に」

▼論文発表・総合討論
(1) 渋谷謙次郎(神戸大学)「言語権における個人と集団」
(2) 荒井幸康(北海道大学)「ソヴィエト初期の言語政策と少数民族の言語―ダイグロッシアの崩壊、言語の融合、民族言語のロシア化」
(3) 松永稔也(東海大學)「ことば・ひと・越境―フィリピンにおける言語政策から」
(4) 岡典栄(一橋大学)「国語と母語の相克、母語の困難・・・日本手話の場合」
(5) Patrick Heinrich (University of Duisburg-Essen)「琉球における『ことば』と『想像の共同体』の編成」
(6) 汪明輝(臺灣師範大學)「族語教學學校化之再省思:尋找一種生活現場、免費的口説族語」
(7) 高田峰夫(広島修道大学)「バングラデシュにおける『母語』と英語の相
克―ベンガル語運動の栄光とグローバル化の中での矛盾」
(8) 金田智子(国立国語研究所)「『生活者』に必要な日本語:目標基準の開発に向けて」
(9) 李惠敏(University of Essex)「為帝國發聲? ―我對台灣的大學語文科系課程設計的省思」
(10) 古川ちかし(東海大學)<越境に伴うことばの教育をめぐって>パネリスト

1.中国語・日本語の同時通訳を行います。(將在網頁中追加中文資料)
2.その他詳細はホームページをご参照ください。(http://www2.thu.edu.tw/~japan/jap/frame/home.htm

3.お問い合わせ:
TEL: (04)2359-0121 EX 31701~31703 FAX: (04)2359-0258 呂佩芬(助手)
Email: japan@thu.edu.tw (日本語でも中国語でも結構です)
407-99台中市台中港路三段181號 850信箱 東海大學日本語文學系

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旧ブログへの最近のコメントでもふれた、台湾の東海大學での開催。■日本人らしき報告者のおおさと、「日本語と中国語の同時通訳がつきます」ということわりがきが、完全に日本人研究者などのギャラリーを前提にしていることをうかがわせる点で、複雑なきもちにさせられるね。
■それはともかく、おもしろそうだが、これから日程調整するのは、かなりムリっぽいな。

タグ : 社会言語学 言語政策

日本人より上質な日本語をかくアメリカ人

■旧ブログで「高橋春男「ぼくの細道」、高橋源一郎「おじさんは白馬に乗って」、酒井順子「その人、独身?」という連載にくわえて、ビナードさんの「へそくりヶ丘日本語3丁目」もある『週刊現代』は、たとえ特集記事がカスであっても、後悔しないですむ いい週刊誌です(笑)。」などと絶賛し、その人物紹介などもおこなった「アーサー・ビナード」氏。■まったくの季節はずれだが、実にすばらしい文章が、単行本などにならずに わすれてしまったりしたら、とても残念なので、著作権違反を承知で、全文をうちこんでおく。


「arthur binard’s へそくりヶ丘 日本語3丁目」39
(『週刊現代』2007年12月22・29日合併号,p.155)


メリークリスガス

「今
年のクリスマスはアメリカに帰るんですか」――毎年十二月に入ると、必ず数人から聞かれる。ある種の挨拶みたいに。中には「やはりアメリカで過ごしたほうが楽しいでしょ?」とつけ加える人も。
 ぼくはだいたい、「いやぁ、今年は忙しくて、どうも帰れそうにないですねぇ」と、すぐ話題を変えるけれど、とても正直な答えとはいえず、ちょっと後ろめたくなる。いや、師走が忙しいことは事実だが、クリスマスに帰ろうと努力したかのようなニュアンスは作り物で、本当は反対に、どうやったら親類に断って帰国を避けるか、それがぼくの毎年のクリスマスの課題だ。

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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

生活保護行政―北九州市を苦い教訓に(朝日・社説)【追記あり】

■『朝日新聞』の20日の社説から。

生活保護行政―北九州市を苦い教訓に

 生活保護に税金をなるべく使わないようにする考えが、「DNAのように職員に染みついている」。

 自ら設けた第三者委員会からそう厳しく批判されたのは、北九州市である。なにがなんでも生活保護の支給を抑えようというのだから、この街に住む人たちはたまったものではあるまい。

 第三者委員会は、生活保護を受けられなかったり、打ち切られたりした男性3人が相次いで孤独死した事例を検証した。委員会が先月まとめた最終報告を読むと、市がどんな方法で保護費を減らしていたのかがよくわかる。

 第一の方法は、「申請したい」という人が窓口に来ても、あれこれと理由をつけ、申請書を渡さないことだ。相談に来ただけ、として処理する。これが悪名高い「水際作戦」と呼ばれるものだ。

 門司区の50歳代の男性は2度も福祉事務所に出向いたのに、申請書をもらえず、ひっそりと独りで亡くなった。

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テーマ : 社会問題 - ジャンル : ニュース

「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力5)」

■「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力)」シリーズの 「」「」「」「」つづき。
■禁欲的に対象を「素描」することの困難さと、それよりはずっと「おてがる」な「批評」行為の政治性=権力性を「素描」してきたが、「批評」行為が、批評家・評論家解説者コメンテーターあるいは、新聞・放送局などの解説委員といった、いわゆる専門家とか、ジャーナリスト記者ニュースキャスターなど報道関係者*などにかぎられないことは、いうまでもない。■これら、専門家・報道関係者は、出版会社編集部や放送局編集部(報道部)などにコネクションがあるという意味で特権的な層だったが、インターネットの大衆化によって、そういった、資本や権威にうらづけられた「しきい」というものが、急速に相対化されたからである。

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野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』3

野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』1、および、のつづき。

■本書は、「挑戦」といった空疎な表現ではなく、意識的に「挑発」という表現を副題にえらんでいる。つまり、あらかじめ 「こしがひけるような層」を あいてにしていないのだ。■いいかえるなら、「おお、『挑発』って、なにするつもりなんだよ(≒おれさまを、おこらせることができるのか? なまいきそうな連中だ)」とか、「『挑発』とか、おもしろそうじゃん(笑)。どれどれ、ヒマつぶしによんみるか?」といった層こそ、第一の「標的」であり、こわごわと 「おそろしげだが、しるひとぞしる野村氏の編著らしいから、一応めをとおしておこうかな…」といった層は、第二の「標的」でしかない。■前者は、なめているがゆえに 読解力=想像力さえそなわっているなら、まさに衝撃をうけて、だまりこんでしまうか、「改心」させられるはずだし、後者は、あらかじめ 自分たちの身体性が 野村氏らの挑発にのりきれないというか、どうせなっとくしきれず、あとあじのわるさだけ体験するだろうことをあらかじめ想定して かまえている層なので、おそらく かわりようがないからだ(たとえば、旧ブログ記事「野村浩也,無意識の植民地主義」で批判しておいた、社会学者のような御仁たち)。■野村氏たちにとって、お上品な啓発活動なんてのはありえない。「植民者」たちに強烈にゆさぶりをかけ、その一部が「改心」するなら 大成果。もちろん、「植民者」の自覚がない層の 虚をつくかたちで、うちのめすのなら、最大の成果といったところだろう。

■では、本書は 一般読者を全然あいてにしない 巨峰なのだろうか? ■実は、軽妙かつ秀逸な コント的記事がちゃんとおりこまれている。■「コラム 憲法九条漫才「沖縄に九条ってあるの?」(ウチナーヤマトゥグチにて)知念ウシ+宮里護佐丸」と、「コラム ユタヌヤーカラタイムトラベル2004――古琉球人は未来の沖縄の夢を見たか 知念ウシ+座安松」のふたつだ。

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テーマ : 軍事・平和 - ジャンル : 政治・経済

タグ : ハイパー独裁 1984年 真理省 安全 ナショナリズム

野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』2

野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』1の つづき。

■編者の野村浩也氏の代表作『無意識の植民地主義』については、「コザ(沖縄)出身の社会学者、野村浩也さんの『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』(御茶の水書房)は、破壊的な衝撃力をもった力作だ。■日本政府、特に安保体制関係者(外務省の北米・太平洋アジア担当とか、防衛庁関係は、もちろん)は、「写経」して、よむべき文献だ」と旧ブログで紹介した。
■写経しろと、当局周辺に説教しつつも、「……しかし、本書『無意識の植民地主義』は、まったく別種の文章だ。かりに、全文・全単語が 日本語として「わかって」も、「筆者の いいたいことが さっぱり わからない」ということが、充分ありえる。■もちろん、岡崎論文だって、「論旨は わかったが、そんなこといわれてもねぇ……」という反応は、五万と でそうだ。しかし、本書は「みだれのない日本語で、一貫した論旨が展開されているらしいことは、わかったが、論旨が理解できたとはいえない」という感想をもらすのが、日本の平均的知識層ではないだろうか? それも、通常は「良心的知識人」などと、自他ともに、みなされてしまうような御仁たちがである。■つまり、たましいに共鳴がおきる読者にのみ、しずかな革命が はじまる、そんな本だ。」と、たたみかけてもおいたのだが。■本書も、まったく同質だとおもう。

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野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』1

■旧ブログでは、何度もご登場いただいた、野村浩也氏が編者の本が昨年でているので、おくればせながら、その紹介。■松籟社〔ショーライシャ〕っていう、硬派な出版社からの刊行。
■とりあえず、表題・副題・共著者と目次を転載。それだけでも、充分すごい。

野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』

野村浩也池田緑郭基煥C ・ダグラス・ラミス桃原一彦
島袋まりあ金城正樹冨山一郎知念ウシアシス・ナンディ

はじめに


第I部 植民者とはだれか
 日本人という植民者 野村浩也
  1 帝国主義・植民地主義からポストコロニアリズムへ
  2 植民地主義は終わらない
  3 日本人=植民地主義の実践主体
  4 日本人=不平等の製作者
  5 精神の植民地化
  6 沖縄人は日本人ではない
  7 日本人=民主的植民者

 沖縄への欲望――“他者”の“領有”と日本人の言説政治 池田緑
  1 沖縄への言説の政治
  2 沖縄に移住する日本人
  3 言説による沖縄の“領有”
  4 日本人の間での言説の政治
  5 日本人の内なる政治
  6 沖縄から遠くはなれて

 責任としての抵抗――ファノン、レヴィナス、李良枝を中心に 郭基煥
  1 北朝鮮表象と在日朝鮮人
  2 責任としての抵抗
  3 〈ハン(恨)〉と共に――李良枝の小説から
  4 あなたにできること

 コラム 憲法九条漫才「沖縄に九条ってあるの?」(ウチナーヤマトゥグチにて)知念ウシ+宮里護佐丸

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1月19日

■ウィキペディア「1月19日」の「できごと」欄から【リンクは一部】。

1960年 - 改定日米安全保障条約調印
1966年 - インド首相にインディラ・ガンジーが選出される。
1968年 - 原子力空母エンタープライズが佐世保に寄港、1月23日まで停泊。
1969年 - 東京大学安田講堂に篭城していた全学共闘会議の封鎖を解除(東大安田講堂事件)。
1978年 - TBS、人気音楽番組「ザ・ベストテン」放送開始(~1989年9月28日)。
1984年 - 九州から関東の太平洋側各地で15年ぶりの大雪。


■結構すごい日だとおもう。■ちなみに、「誕生日」欄も、おおものがおおい印象が。


●ウィキペディア「大学共通一次試験
●ウィキペディア「大学入試センター試験
●旧ブログ「大学入試センター試験」関連記事
●旧ブログ「佐世保」関連記事
●旧ブログ「安保条約」関連記事

地中のガス管(ねずみ鋳鉄管)破断問題

■およそ1年まえに旧ブログでとりあげた「北見、ガスもれ事故の本質」の補足記事。■『朝日』の記事から。

ガス管不安、他市でも 北海道・北見事故最終報告
2008年01月18日17時43分

 北海道北見市で地中のガス管が破断、3人が一酸化炭素(CO)中毒死した事故から18日で1年。経済産業省の事故調査委員会は、地盤の弱さに車両の振動が加わったことが破断につながったとして、「全国どこでも同じ事故が起きる可能性がある」と指摘する最終報告をまとめた。北見市と同じ鋳鉄管でCOを含むガスを供給している事業者は全国に9社あり、場所は8道府県の11市に及ぶという。

ねずみ鋳鉄管(ガス会社)


 北見市で破断を起こしたのは「ねずみ鋳鉄管」と呼ばれる管で、40年前に埋設された。ポリエチレン製の管などに比べると亀裂が入りやすく、もろいとされる。

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山田洋行社長「秋山氏に3000万円」 聴取で資金提供認める(中日)

山田洋行社長「秋山氏に3000万円」 聴取で資金提供認める
2008年1月17日 夕刊

 防衛商社「山田洋行」が社団法人「日米平和・文化交流協会」の秋山直紀専務理事(58)に約3000万円を支払ったとされる問題で、同社の米津佳彦社長(60)が東京地検特捜部に対し、資金提供を認めていることが分かった。秋山氏は今月8日の参院外交防衛委員会の参考人招致で、資金提供を否定していた。

 関係者によると、同社元専務の宮崎元伸被告(69)=贈賄罪で起訴=が独立して防衛商社「日本ミライズ」を設立した直後の一昨年秋、山田洋行の役員が、米国メーカー2社の販売代理店契約を維持するために約3000万円を秋山氏側に提供。さらに、山田洋行が当時の防衛庁長官だった久間章生氏に支援を求める文書を作成して、秋山氏に渡していたとされる。

 関係者によると、米津社長は特捜部の事情聴取に対し「顧問料として約3000万円を渡した」と認めたが、久間氏への支援要請については否定したという。同社は、秋山氏が顧問を務める米国法人「アドバック・インターナショナル・コーポレーション」とコンサルタント契約を結んでおり「資金提供は問題ない」と説明したという。特捜部は昨年11月以降、山田洋行や日米平和・文化交流協会の関連先を捜索。関係資料を押収し、同社や秋山氏をめぐる政界工作の解明を進めている。

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■国会の証人喚問の中継をきいたときに、よくもまあ、しゃあしゃあと(なぜなら、あまりにも冷静に余裕でこたえていたから)答弁できるものだなあとおもっていたが、やっぱり、うわさどおりのようだ。守屋氏と同様偽証罪にとわれることになるよね。山田洋行がわのガセでないのなら。■実に不気味な人物だ。これでブローカーとしての生命がたたれるにしても。
■いずれにせよ、こういった人物の暗躍をゆるした政官財のくらやみの解明が本務なのであって、中堅業者周辺のスキャンダルたたきでよろこんでいてはいけない。■安倍前首相が退陣すればそれでよしにはならず、うわさとして浮上したきなくさい話題が解明され政官財のくらやみがあかるみにさらされねばならないのとおなじように。
■くれぐれも、東京地検をはじめとした検察には、アリバイ的な捜査(自分たちの存在感の誇示のための)におわらず、徹底的にやってほしいね。やらなければ、アリバイ的にごまかそうとしたと判断するほかない。

言語表現・連合関係・文化資本

■日本語教育にたずさわる人物による『日本語の風景』の昨年の記事。

2007年5月12日
ぐっすり美人

電車に乗ったら、広告はやはり多い。満員の車両のなかに身動きもできないままにいると、つい広告のせりふを繰り返し眺めてしまう。言葉表現のサンプルはここにあり、と感じて、いつもながら感心する。
めざせ! ぐっすり美人

そばにいる学生は、指差して説明を求めてくる。キャッチフレーズは簡単で、「めざせ!ぐっすり美人」とある。初心者の学生なので、どうやら分かったのは、美人だけ。あとの平仮名言葉は、分かりそうで分からないという。命令形だの、擬態語だとと、言語教師なら普通のクラスなら一通りタッチしておかなければならないことを思い切って簡単な形で伝えてみた。そこで、はじめて気づいたのだが、そういった知識を持っていても、このフレーズの意図するところが伝わらないんだ。いうまでもなく「虞美人」という言葉が下敷きになり、その響きがあるからこそ、「ぐっすり美人」が生きてくる。そのようなことは、言語の環境で生活すると、自然に身に着いてくるものだが、これをいざクラスの知識として伝えようと思えば、どうしても無理が出てしまう。

言葉を外国語として教えると、表現と表現のうしろにあるものをどこまでカバーしなければならないことだろうか。いつもながら考えさせられるテーマである。
……

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■「言葉を外国語として教えると、表現と表現のうしろにあるものをどこまでカバーしなければならないことだろうか。いつもながら考えさせられるテーマ」というのは、そのとおりだろう。■ハラナ自身、十数年まえ日本語学校でアルバイト講師をやっていたので、よくわかる。
■しかし、「いうまでもなく「虞美人」という言葉が下敷きになり、その響きがあるからこそ、「ぐっすり美人」が生きてくる」といいきられてしまうと、「ホントそうか?」と ツッコミをいれるほかない。

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原発の立地 調査も審査も甘すぎる(北海道新聞社説)

原発の立地 調査も審査も甘すぎる(1月15日)
 新潟県中越沖地震で被災した東京電力柏崎刈羽原発の立地をめぐり、東電が実施した地質調査が極めてずさんだった問題が浮上している。

 東電の間違った調査結果が、厳格であるべき国の安全審査を素通りしていた事実も明らかになった。

 原発立地の適否を判断する地質調査がなおざりでは、原発への信頼が根底から揺らぐ。国の審査は妥当だったのか、その検証も欠かせない。

 問題になっているのは、東電が一九七○年代から八○年代にかけて、同原発の建・増設のために実施した海底断層の音波探査調査だ。

 東電が国に提出した同原発2-7号機の設置許可申請書は、「原発の半径五十キロの沖合には活断層は一本しかない」という内容で、これがそのまま国の審査をパスしていた。

 ところが、原発周辺の活断層は実際には七本あった。長く連なる断層を短い断層と過小評価していたことも、二○○三年の自社の再調査で分かった。

 東電はこの事実を住民に公表せず、報告を受けた国も黙認していた。

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新潟県中越沖地震から半年

■旧ブログでも、再三とりあげた「新潟県中越沖地震」の続報。■『読売』の記事から。

新潟県中越沖地震から半年、今も仮設住宅に3038人
 死者15人、重軽傷者2315人を数えた新潟県中越沖地震の発生から16日で半年を迎える。

 被災地・柏崎市では、がけ崩れなどのおそれがあるとして、150世帯413人に対する避難指示・勧告が続いている。

 新潟県のまとめでは、住宅被害は11日時点で、全壊1320棟を含めて計約4万2000棟の被害が確認されている。被災者向け仮設住宅には、同市と刈羽村、出雲崎町で計1059世帯3038人(昨年12月末現在)が暮らし、ピーク時の1061世帯3044人(昨年10月末)とほとんど変わっていない。

 国の支援では、支援金の使途を住宅本体の再建にも広げ、申請者の年齢・年収要件を撤廃するなどした改正被災者生活再建支援法が昨年11月に成立。柏崎市は今月21日から新制度に基づく申請を受け付ける。

 一方、東京電力柏崎刈羽原子力発電所では、地震発生時に定期検査中だった3基を含めて全7基が運転を休止したままで、運転再開のメドは立っていない。

(2008年1月15日19時21分 読売新聞)

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加齢による時間の加速化をくいとめる意味

■覇気あふれるビジネスマンの時間論。

「歳をとる毎に1年が加速度的に早くなる」2つの理由と対策

 2007年が終わったと思ったら、早くも1月の後半に突入である。

 「年取ると1年が短くなる」なんてことを中年のおじさんが言っているのを、若い頃に聞いたことが何度かあったが、気がつくと自分がその年になっているのである。

 あっという間に娘も社会人になり、結婚して私の孫が出来、会社をリタイヤして、「リアルな大人のセカンドライフ」が始まってしまうのだろう。

 さて、なぜ年をとるに連れて1年が早くなるのだろう。 一般に下の二つが言われいてる。

<年齢分母理論>

 10歳の1年: 1年/10年 = 10.0(%)

 40歳の1年: 1年/40年 =  2.5(%)

 つまり、10歳のときより20歳の時の1年の速度は2倍、10歳のときより40歳の時は4倍の速さで進むことになるのだ。

 この理論だと、どんなに充実した生活を送ろうが、どんな努力をしようが、年が経つに連れて加速度的にはやくことになる。 なんとも恐ろしい論理ではないか。

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祝日の意味再考16:成人の日2=取捨選択版Wikipedia 

■旧ブログ記事「祝日の意味再考9:成人の日=取捨選択版Wikipedia」の続編。

■「きのうは、いわゆる「成人の日」だった。…」と、ほぼ1年まえに「前編」でもかきはじめた。■実は、その文章では、ウィキペディアの「成人式」の記述をひいたのだが、「成人の日」はリンクしただけだった。■その当時の記述の詳細を履歴でおう手間がおしいので、あたらないが、つぎのような現在の記述は、少々関心をそそられる。

……
1948年公布・施行の祝日法によって制定された。制定から1999年までは毎年1月15日だった。成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるといわれている。

本来、成人の日は、前年の成人の日の翌日からその年の成人の日までに誕生日を迎える人(例:1998年の新成人の場合は1997年1月16日から1998年1月15日までに20歳になった人)を祝う日となっているが、最近では前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人を式典参加の対象にする、いわゆる学齢方式が定着するようになっている。

ただし、1月15日が成人の日として固定されていた時代、1983・84年には共通一次試験、及び1994・95年はセンター試験がそれぞれ行われていた。

ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日(その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日)に変更された。そのため元々の1月15日には法律を改正しない限りやってこなくなってしまった。
……



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学力上位者に補習が差別的でないという論理1

公立校&塾、連携に賛否 「学力向上」「不平等では」
2008年01月10日

 東京都杉並区の区立和田中学校の教室で9日から始まる予定だった「夜間塾」が、都教委からの指導で直前になって延期になった。学力向上を目指し、学習塾と公立小中の連携はここ数年、さまざまな形で進んでいるが、限界もある。平等が重視される公教育の世界に、競争に勝ち抜く塾の力を借りることはどこまで許されるのだろうか。

 杉並区教委に対し指導が入った翌日の8日午後、和田中では保護者代表への説明会が急きょ開かれた。「(指摘された)3点をクリアし、26日にスタートしたい」という説明に、「やるのかやらないのか不安だったが安心した」という声が上がった。

 計画では、平日の週3日、午後7時から大手進学塾SAPIXが2年生の希望者に教える。「上位層を伸ばすことに公立校は関心が薄かったが、教師に何もかも求めるのは無理。だから塾の力を借りる」と藤原和博校長は言う。

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テーマ : - ジャンル : 学校・教育

ジェームズ・ワトソン氏自身のDNA幻想

■DNAの分子構造における「共同発見者」としてノーベル生理学・医学賞を受賞したひとりである、ジェームズ・ワトソン氏は、人種主義者としての問題発言をくりかえしてきた人物。■最近も、そうしたスキャンダルがもちあがっている。

●ウィキペディア「ジェームズ・ワトソン

2007年10月14日、「黒人は人種的・遺伝的に劣等である」という趣旨の発言が英紙サンデー・タイムズ一面に掲載された。同紙によるとインタビューにおいてワトソンは「アフリカの将来については全く悲観的だ」「(我々白人が行っている)アフリカに対する社会政策のすべては”アフリカ人の知性は我々と同等である”という前提で行われているが、それは間違いである」「黒人従業員の雇用者であれば、容易にそれを納得できるだろう」などと語ったという。この報道は欧米で大きな波紋を呼び、英国滞在中だったワトソンは謝罪と発言の真意が曲解されているとの旨のコメントを発するとともに、米国に緊急帰国した[1]

さらに同年12月9日同紙において,アメリカ国立衛生研究所で公開されているワトソンのゲノムデータを解析した結果,16%がアフリカ系黒人に由来し平均的ヨーロッパ系白人の16倍もの黒人の遺伝子を受け継いでいることが判明したと報じられた[2]

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※ ちなみに、注2はリンクぎれ。

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力4)

文芸評論家音楽評論家美術評論家野球評論家といった「評論家」のなかで、比較的わかりやすい例をあげておいたが、実は「評論家」とよばれる先生方には、ほかにも、経済評論家株式評論家・政治評論家・軍事評論家といったさまざまなものがある。「評論家が対象とする事物には特に制限があるわけではなく、文学、政治、経済などあらゆる事物が評論の対象になる。そのため、毎年のように新しい肩書きの評論家が登場してくる。」といった見解さえあるほどだ。■では、なぜ前回まで、そういった「先生方」をあげなかったかといえば、経済動向・株価動向・政治動向・軍事動向などは、社会現象ではあっても、表現行為としてくくるのには、ムリがあるからだ。「21世紀初頭の日本経済がしめすパフォーマンス」とか、「日米両軍が合同演習でみせたパフォーマンス」といったことへの論及を「メタ言語」ということは可能だが、このシリーズでとらえようとしている、表現行為への言及(論評)という次元では、あまりに擬人的すぎる。
■いささかこまかくなるが、文学・音楽・美術などは、制作者が着想した あるテーマの表現形(シニフィエのためのシニフィアン)であり、それ自体が「言語」(ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」の実践形式の一種といった次元で)である。だから、これら芸術作品の批評行為は、典型的な「メタ言語」といえるだろう。■みせるスポーツについての「スポーツ解説者」等も、「言語ゲーム(われわれの言葉を機能させ意味を成さしめる規則)」をモジっていうなら、あるスポーツのルールとは「競技者がゲームを機能させプレイを成さしめる規則」であり、それにそったプレイ(実践)への論及は、やはり「メタ言語」にふさわしい。

■このようにみてくると、文芸評論家音楽評論家美術評論家といった芸術系の表現物に対する論評と、野球評論家といった競技についての評論・解説活動に大別してするなどしつつ、その「権威」の基盤を分析する意味があるだろう。

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力3)

■初回で「素描/批評」のちがいは、記述の粗密ではなく評価行為(位置づけ)の有無であること、「記述対象を記述が完璧にうつしとることは原理的にありえないのだから」「メタ言語は、それがどんなに精密な作業であろうと、「素描」にあたる」ことを指摘しておいたが、実態としての記述の粗密は、評価を目的とする「批評」よりも、記述だけを主眼とする「素描」の方が精密になりがちだろう。■前回のべたような、「品評会」「選抜試験」等の序列化のように、公開される「批評」の記述水準は、順位や合否など、実にそっけないものにとどまることがすくなくない。
■皮肉ないいかたをするなら、質・量いずれの面でも、平均値・中央値・最頻値のいずれの点でも、「素描」群>>「批評」群かもしれない(笑)。禁欲的な「素描」群は、しばしば「放言」にすぎない「批評」群に、社会的影響力においておとることが、ままある。いや、それが大半かもしれない。■しばしば、詳細かつ精確な記述にもかかわらず、みずからの不充分さをきびしくせめる「記述」群が、かなり安易で無責任な放言にすぎない「批評」群よりも、かるくあつかわれる(すくなくとも、大衆的な影響度としては、あきらかにちいさい)というのは、なんとも あとあじがわるいといえる。■この皮肉な構図を理解するためには、「素描」「記述」双方の表現者・消費者を解析する必要がある。              

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力2)

■批評というと、音楽批評・文芸批評・科学批評など、さまざまなものがイメージされるだろう。■これら批評行為の一部は、文芸評論家音楽評論家美術評論家野球評論家といった「評論家」等として総括される生業・肩書きとして制度化(権威化)したものもある。

■しかし、「位置づけを目的とする評価行為」という風に定義するなら、おどろくほど ひろい表現行為がふくまれる。学力試験などの採点行為、判決調停など法的な判定作業、スポーツなどの審判、論文審査・コンクール審査や各種懸賞制度、人事査定など、第三者がある評価行為をくわえるものは、総じて「批評」の一種にふくめることが可能になる。
■入学試験の判定結果などは、具体的な論評がなされず、単に数量化可能な序列が公表されるだけかもしれないが、非公開ながら判定会議では優劣を決する「根拠」が合理化装置としてもちだされるのが普通だ(そうでなければ、ボスなど有力者の恣意的な「このみ」による独断ということになる)。■すくなくとも、博士号授与や文学賞選評のように、なぜ「合格」と判定したかの根拠を、審査委員がのべねばならない制度はすくなくない。むしろ、入学試験や採用試験などは、近年の情報公開の風潮がたかまる以前は、判定過程がブラックボックス化されて、恣意性の有無が問題化されないですんできただけとおもわれる。

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