■本書は、「挑戦」といった空疎な表現ではなく、意識的に「挑発」という表現を副題にえらんでいる。つまり、あらかじめ 「こしがひけるような層」を あいてにしていないのだ。■いいかえるなら、「おお、『挑発』って、なにするつもりなんだよ(≒おれさまを、おこらせることができるのか? なまいきそうな連中だ)」とか、「『挑発』とか、おもしろそうじゃん(笑)。どれどれ、ヒマつぶしによんみるか?」といった層こそ、第一の「標的」であり、こわごわと 「おそろしげだが、しるひとぞしる野村氏の編著らしいから、一応めをとおしておこうかな…」といった層は、第二の「標的」でしかない。■前者は、なめているがゆえに 読解力=想像力さえそなわっているなら、まさに衝撃をうけて、だまりこんでしまうか、「改心」させられるはずだし、後者は、あらかじめ 自分たちの身体性が 野村氏らの挑発にのりきれないというか、どうせなっとくしきれず、あとあじのわるさだけ体験するだろうことをあらかじめ想定して かまえている層なので、おそらく かわりようがないからだ(たとえば、旧ブログ記事「
野村浩也,無意識の植民地主義」で批判しておいた、社会学者のような御仁たち)。■野村氏たちにとって、お上品な啓発活動なんてのはありえない。「植民者」たちに強烈にゆさぶりをかけ、その一部が「改心」するなら 大成果。もちろん、「植民者」の自覚がない層の 虚をつくかたちで、うちのめすのなら、最大の成果といったところだろう。
■では、本書は 一般読者を全然あいてにしない 巨峰なのだろうか? ■実は、軽妙かつ秀逸な コント的記事がちゃんとおりこまれている。■「
コラム 憲法九条漫才「沖縄に九条ってあるの?」(ウチナーヤマトゥグチにて)知念ウシ+宮里護佐丸」と、「
コラム ユタヌヤーカラタイムトラベル2004――古琉球人は未来の沖縄の夢を見たか 知念ウシ+座安松」のふたつだ。
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