■長崎出張に あわせて(1日はやく移動して)、
長崎原爆資料館見学を、はじめて確保。
■捕虜収容所で 軍需工場で強制労働をさせられていた もとオーストラリア兵、徴用(強制連行)や移民(当時は「転居」「転籍」だが)などで日本列島にいた 当時の朝鮮系日本人の 存命の被爆者たち(いまなら80前後~90才前後世代)の十数年まえのインタビュー動画が ビデオで再生できる(
常設展示室 「
原爆による被害 被爆者の訴え」)。
■この 存命者(90年代なかばの収録時だが)たちは、おなじように虐待され、奴隷状態にあったのに、「戦勝国」の「白人」と、「東アジア」の「植民地住民」の差であろうか、労働体験と原爆の意味づけが 全然ちがう。■おどろくべきことは、オーストラリア兵(ほかに、オランダ兵と英国兵がいたようだが、記録されていない)は、重度の障害をおった ただひとりのケースをのぞいて、全員が、原爆投下を全面的に正当化していた点。障害者として後半生をおくった男性は、原爆を無意味な発明であり、原爆投下を人体実験だと一刀両断だったが、ほかの男性たちは、「原爆を投下しなければ、自分たちの解放がおおはばにおくれた」「原爆を投下しなければ、日本人もふくめて、もっと大量の犠牲者がでた」「原爆があまりにも おそろしい威力をみせつけたがゆえに、冷戦期をふくめて世界大戦は二度とおきなかった」……等々と、合理化して、あの大量無差別殺傷を正当化したのである。■アメリカ人の多数派と まったく同様なのだ(おそらく、収容所ではヒトけたしか被爆犠牲者がおらず、放射線・爆風の直撃をうけずにすんだ捕虜が大半だった。あるいは、かれらのように、みためにわかる障碍をおわなかった被爆者は、「のどもとすぎれば」で、原爆の惨劇など、すっかり風化して過小評価できてしまっているのだろう)。
■一方で、日本にとどまった在日はともかくとして、朝鮮半島に帰国した男女たちは、みな日本政府の被爆者援護・補償があまりにてうすいこと、健康不安をふくめて、つらい半生をおくっていることを、インタビューアーにかたるだけで、原爆による無差別爆撃・人体実験を正当化などないのだ。■障害者となった唯一の例外である もとオーストラリア兵と 同様、日米両政府の愚考・愚行を 人生全体でもって、しずかに いきどおり、告発している。
続きを読む »
タグ : 真理省1984年ナショナリズムハイパー独裁